2014年5月19日

藤井君弔問

藤井康徳くん(第14代)、逝去

 残念なお報せです。去る5月11日の深夜、第14代で幹事長を務めた藤井康徳くんが
急に亡くなりました。享年56歳でした。故人の遺志で、葬儀は身内だけで済まされま
した。
 もともと肝臓を患っていましたが、そちらの方は最近小康状態だったのです。2週
間前、私(江口)と「エルドレッド(広島カープ)がサヨナラホームランを打った」
と電話で話したばかりで、「今年カープが優勝したら、秋の歌う会に広島の酒を持っ
て行く」と元気な声で言っていました。実際、「家族と一緒に東京へ行く」計画が具
体的に話し合われていたそうです。
 それなのに、今回彼の命を奪ったのは意外な伏兵・脳幹出血でした。11日の夕方、
自営している酒販店の配達に出かけ、19時ころ帰宅。その際「気分が悪い」と言いな
がら自力で2階の部屋に上がり、布団に入りました。その10分後、奥さんに「口がき
けない」とメールを打ち、救急車で運ばれました。家族が名前を呼ぶたびにカッと目
を見開いて頑張っていましたが、わずか6時間後の深夜1時、力尽きてしまったので
す。
 奥様から聞いて驚いたのですが、彼はアルコール分解酵素であるアセトアルデヒド
がまったく作れない体質でした。「呑兵衛」というイメージが強かった藤井くんは、
実はアルコールを受け付けない身体だったのに、無理をして飲酒していたことになり
ます。人付き合いの好きな彼は、そうして肝臓への負担を重ねていたのでしょう。そ
して、肝臓を患い、治療の投薬が血管を破れやすくしていたと推測されます。
 携帯の発信履歴を見ると、彼はGW中、いろいろな相手に電話をかけまくっていた
ようです。サークル員の中にも、私同様に電話をもらった人がいるのではないでしょ
うか。藤井くんなりに、何かを予感していたのかもしれません。
 藤井くんは早稲田卒業後、お父さんの酒販店を継ぐため故郷・広島県福山市に戻り
ました。地元の女性と結婚し、二人の娘さんをもうけました。奥様が書かれた「ごあ
いさつ」によると、「酒屋の二代目として仕事に精を出し、家族を大切にした夫でし
た。子どもの意思を尊重して応援しながら、折にふれて社会のマナーやルールを教え
ていました。その厳しい言葉に込められた親心は、しっかりと娘たちに届いていたよ
うです。私たちが幸せに暮らせたのは、皆を正しく導いてくれた夫のおかげと、心か
ら感謝しています」。そんな彼にとって、奥様だけでなく高齢のお母さん、大学3年
生と大学受験を控えた高3のお嬢さんたちを残していくのは、さぞかし無念だったで
しょう。
 地元の人たちにも愛され、友人も多かった藤井くん。「毎日お酒を買いながら、こ
この主人と馬鹿話をして帰るのが何よりの楽しみだった」というお客さんも多く、そ
う人のためにと、奥様はお店を続けることを決心されました。
 18日、星空音楽倶楽部の香典を携え、同じ高校の出身者でもある江口がお線香をあ
げてきました。奇しくも彼の結婚記念日でした。いっそう小さくなった藤井くんの遺
骨とご家族の前で、持参したウクレレを弾きながら彼の愛唱歌『遠くで汽笛を聞きな
がら』と『木蓮の涙』を歌わせていただきました。
 お骨あげのとき、藤井くんの咽喉仏はとても大きかったそうです。良く響く彼の歌
声と軽快なMCは、星空のみんなも忘れられないでしょう。車の中では甲斐バンド、
さだまさし、そしてアリスの曲がヘビーローテーションだったとか。可愛がっていた
オスの柴犬に彼が付けた名前は「すばる」でした。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
(第11代・江口 隆司)

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